今回は金融・経済ネタではなく、個人的な趣味の分野の話題です。
今年、NHKの大河ドラマ「豊臣兄弟!」が人気になっています。
戦国時代と近代史好きとすれば、史実を取り入れたフィクションとして楽しみの一つになっています。
5月24日の放送は、松永久秀の死がクローズアップされた回でした。今回はこの「松永久秀」を取り上げます。
久秀は1508年生まれで、出身については阿波国・山城国西岡・摂津国五百住など様々な説があります。近年、摂津国五百住の説が強くなっているようです。始めは三好長慶に仕え、室町幕府との折衝等で頭角を現し、活躍したとされています。長慶没後、織田信長に仕えました。当時、信長は久秀を家康に紹介する際に、「この男、人がなせぬ大悪を一生のうちに3つもやってのけた。主家(三好長慶)を乗っ取り、将軍(足利義輝)を暗殺し、東大寺の大仏を焼き払った」と伝わっている(現在では上記3つとも後世に湾曲された話とされています)。
そのため、久秀は「戦国の梟雄」の一人に数えられています(久秀以外は斎藤道三・北條早雲・宇喜多直家など)。
一方で、主家の祐筆であったこと、茶道に造詣が深かったことなど文化人としての一面も持ち合わせていたとされています。
信長に仕えた後、幾度か信長に対して謀反を起こしていますが、すべて許されています。が、最後は信貴山城に立てこもり信長が所望していた茶器・平蜘蛛に火薬を詰めて自爆死したとされています。多くの機会に信長から許された事実からすると、信長は久秀を先輩として敬い、認めていたのではないかと個人的に思っています。だから、幾度とない謀反を赦したのだと。
本能寺の変で信長の死体が見つからなかった事実が歴史の不思議として今も話題となります、「信長の遺体はどこへ?」と。
これは以前から個人的に思っていたことですが、「信長は最後、本能寺で久秀と同じく火薬で自爆死した。そのため、遺体も微塵となり発見できなかったのではないか」。
今回の大河ドラマで久秀の最後が平蜘蛛を使った爆死ではなく、火薬を自ら家中へ投じた爆死と解釈され放映されました。このシーンを見て自分の考えは真実だった(信長は久秀の死を模倣した)のでは、と思ってしまいました。真実はわかりませんが…。
松永久秀を題材にした書籍に「じんかん(今村翔吾氏著)」があります。同著もフィクションですが、松永久秀という人物像を史実と異なった角度から捉えた小説だと思います。ご興味のある方は是非、読むことをお勧めします。